
お遍路の最後は高野山へ!お礼参りの場所・服装・御朱印・宿坊体験まで徹底解説
こんにちは。心のよりどころを探して旅を続ける幸せのかたちの管理人です。
四国八十八ヶ所の長い道のりを終えたあと、最後にどこへ向かえばよいのか、何県にあるのか迷っていませんか。結願の感動とともに、ふと高野山へのお礼参りという言葉が頭をよぎる方も多いはずです。しかし、そもそも高野山はお遍路と同じ霊場なのか、奥の院での御朱印のいただき方や満願証の有無、さらには服装のマナーまで、事前に知っておきたいことは尽きません。また、せっかく行くなら宿坊に泊まって精進料理を味わいたいと考える方もいらっしゃるでしょう。ここでは、四国遍路と高野山の深い関係やお礼参りの作法、そして旅を彩る宿坊体験について、私自身の経験も踏まえながら一つひとつ紐解いていきます。
- お遍路の結願後に高野山へお礼参りに行く意味や理由がわかる
- 高野山で参拝すべき場所が奥の院であることやその魅力がわかる
- 御朱印の場所、満願証の有無、服装マナーなどの実務情報がわかる
- 宿坊での宿泊や精進料理、季節ごとの気候など旅の楽しみ方がわかる
お遍路の後に高野山を訪れる大切な意味

この記事を読むことで、お遍路の最後の過ごし方について理解が深まります。
四国の八十八ヶ所を巡り終えたあと、多くの人が海を渡り、和歌山県の高野山を目指します。なぜ四国の霊場とは別の場所にある高野山へ向かうのが通例となっているのか。ここでは、その精神的な背景や、お礼参りが持つ本来の意味、そして訪れるべき聖地の詳細について、深く掘り下げていきたいと思います。
高野山はお遍路と同じ弘法大師の聖地か
四国遍路と高野山は、切っても切り離せない深い絆で結ばれています。四国八十八ヶ所は弘法大師空海が若き日に修行したゆかりの地を辿る巡礼ですが、高野山はお大師さまが真言密教の根本道場として開き、今なお瞑想を続けておられるとされる入定(にゅうじょう)の地だからです。
「同行二人」の旅の終着点として
つまり、四国はお大師さまの修行の足跡を追体験する場所であり、高野山はいわばご自宅や本拠地のような場所と言えるかもしれません。お遍路の道中、私たちは常に同行二人、つまりお大師さまと二人連れであるという気持ちで歩いてきました。その旅が無事に終わったことを、お大師さまがいらっしゃる本拠地へ報告しに行く。それが高野山を訪れる最大の理由なのです。
今も生きているとされるお大師さま
高野山真言宗の信仰において、弘法大師は亡くなったのではなく、奥の院の御廟で永遠の禅定に入り、私たち衆生を救うために祈り続けていると信じられています。そのため、奥の院では毎日2回、お大師さまに食事をお供えする生身供(しょうじんぐ)という儀式が、1200年近くにわたって続けられていると伝えられています。この儀式を目の当たりにすると、お大師さまが本当にそこにいらっしゃるような、温かい気配を感じることができるでしょう。
高野山は四国八十八ヶ所の札所番号には含まれていませんが、信仰上のゴールとして多くの巡礼者に親しまれています。
結願後に向かうお礼参りと満願成就
お遍路用語の中で、少し混同しやすいのが結願と満願という言葉です。一般的に、四国の八十八番札所(あるいは最後に巡った札所)まで全て参拝し終えることを結願と呼びます。これだけで十分に素晴らしい達成なのですが、昔からの習わしとして、その足で高野山へ向かい、旅の無事を感謝して報告することを満願と捉える人も多いのです。ただし、四国霊場会も案内している通り、高野山へのお参りは必ず行かなければならない決まりではありません。
心の区切りをつけるための儀式
強制ではありませんが、長い旅路を見守ってくださったことへの感謝を伝える行為は、自分自身の心に区切りをつける大切な儀式でもあります。報告を済ませることで、張り詰めていた緊張が解け、本当の意味で旅が終わったという安堵感に包まれることでしょう。
私自身も、四国を回り終えた直後はどこかふわふわとした不思議な感覚でしたが、高野山の御廟の前で手を合わせた瞬間、胸の奥にストンと重石が降りたような、静かな納得感を得ることができました。この心の変化こそが、お礼参りの最大のメリットかもしれません。
結願と満願の違いや、結願後に得られる心の変化については、以下の記事でも詳しく解説していますので、あわせてご覧ください。
最後に向かう高野山はお遍路のどこか
では、広大な高野山の中で、具体的にどこを目指せばよいのでしょうか。お遍路のお礼参りとして最も重要な場所は、奥の院にある弘法大師御廟です。
高野山には、真言宗の総本山である金剛峯寺や、巨大な根本大塔がそびえる壇上伽藍など素晴らしい聖地がたくさんありますが、お礼参りの核心は、あくまでお大師さまに直接ご報告すること。そのため、お大師さまが今も生きて私たちを見守っていると信じられている御廟の前で手を合わせることが、お遍路の締めくくりとなります。
高野山の二大聖地を知る
高野山は全体がお寺のような宗教都市ですが、特に重要なエリアが2つあります。
- 奥の院エリア: 弘法大師御廟を中心とした信仰の聖地。お礼参りのメインとなる場所。
- 壇上伽藍エリア: 密教の教えを視覚的に表現した修学の場所。鮮やかな朱色の根本大塔などがある。
初めて訪れる方は、まず奥の院を目指しましょう。ここでお礼参りを済ませてから、時間と体力に余裕があれば、金剛峯寺や壇上伽藍、霊宝館などを巡るというプランを立てると良いでしょう。奥の院への参拝を最優先にすることで、旅の目的がブレることなく、心静かな時間を過ごせます。
お遍路で訪れる高野山奥の院の特徴

奥の院は、一の橋から御廟まで約2キロメートル続く参道があり、樹齢数百年を超える杉木立と、20万基を超えるとも言われる墓碑や供養塔が並んでいます。その雰囲気は、まさに別世界。一歩足を踏み入れると、空気がひんやりと変わり、俗世とは異なる静寂に包まれます。
一の橋から始まる祈りの道
正式な参拝ルートは、入口にあたる一の橋から歩くコースです。ここでお大師さまが参拝者を出迎えてくださり、帰りも見送ってくださると言われています。橋の前で一礼し、杉並木の中を進みましょう。
私が以前ここを歩いたとき、苔むした石塔の数々に圧倒されると同時に、亡き父のことをふと思い出しました。織田信長や豊臣秀吉といった歴史上の偉人の墓所も点在しており、敵味方の区別なく供養されている様子からは、高野山の懐の深さが伝わってきます。多くの人々が祈りを捧げてきたこの場所には、個人的な悲しみや願いさえも優しく包み込むような、不思議な包容力があるように感じます。
水向地蔵での水向け
御廟へ向かう途中、玉川の清流沿いに水向地蔵(みずむけじぞう)が並んでいます。ここでは、お地蔵さまに水を掛けてご先祖様の冥福を祈ります。お遍路の道中で亡くなった方や、自分自身の先祖に思いを馳せながら、柄杓で静かに水を供えてください。
御廟橋から先の聖域と作法
参道の最奥にある御廟橋(ごびょうばし)から先は、撮影禁止の聖域です。ここからは服装を整え、脱帽し、一礼して心静かに御廟へと進みます。橋板は36枚で、橋全体を合わせて37と数え、金剛界三十七尊を表しているとも言われています。杖をついている方は、橋の上では杖を突かずに静かに渡るのがマナーとされています。
御廟の前にある燈籠堂(とうろうどう)では、消えずの火が揺らめき、読経の声が響いています。その裏手に回ると、お大師さまが眠る御廟に最も近づける参拝所があります。ここで旅の終わりを報告し、静かに手を合わせましょう。
奥の院と並ぶ聖地「壇上伽藍」も見逃せない

お礼参りとしての必須ポイントは奥の院ですが、もし時間があればぜひ訪れていただきたいのが壇上伽藍(だんじょうがらん)です。奥の院が静の聖地だとすれば、壇上伽藍は動や輝きを感じさせる場所と言えます。
根本大塔の圧倒的な存在感
壇上伽藍のシンボルといえば、高さ48.5メートルを誇る根本大塔(こんぽんだいとう)です。鮮やかな朱塗りの塔は、真言密教の世界観である立体曼荼羅を表しています。堂内に入ると、大日如来を中心とした仏像群が安置されており、その荘厳な美しさに息をのむことでしょう。
三鈷の松の伝説
根本大塔の近くには、三鈷の松(さんこのまつ)と呼ばれる松の木があります。弘法大師が唐から帰国する際、密教を広めるのにふさわしい場所を占うために投げた法具(三鈷杵)が、この松に引っかかっていたという伝説があります。通常の松葉は2本ですが、この松には3本の葉が混じっており、それを見つけると幸せになれる、あるいは持っているとお守りになるという言い伝えがあります。参拝の際は、ぜひ足元を探してみてください。
高野山は何県?お遍路最後の目的地
基本的なことですが、旅の計画を立てる上で場所の確認は欠かせません。高野山は和歌山県伊都郡高野町に位置しています。四国ではありません。標高約800メートルから1000メートルの山上に広がる盆地状の宗教都市です。
四国から向かう場合、徳島港から南海フェリーで和歌山港へ渡り、そこから電車や車で山を登るルートが一般的です。海を越えて山上の聖地を目指すというプロセスそのものが、修行の総仕上げのようなドラマチックな展開を感じさせてくれます。フェリーの中で四国の地を振り返りながら、徐々に近づく紀伊半島の山並みを眺める時間は、旅の余韻を味わうのに最適です。
高野山でお遍路の参拝を行うためのガイド

高野山での参拝方法や御朱印情報、さらには宿坊体験について詳しく解説します。
ここからは、実際に高野山へお礼参りに行く際に知っておきたい実務的な情報をお伝えします。御朱印のいただき方や服装のマナー、そして高野山ならではの宿泊体験など、事前に把握しておくと現地で慌てずに済み、旅の満足度が大きく向上します。
奥の院でいただく御朱印と納経の場所
お遍路で使用してきた納経帳(御朱印帳)には、多くの場合、最初か最後に高野山奥の院と記された余白ページが用意されています。高野山での御朱印は、奥の院の参道を歩き終えた先にある御供所(ごくしょ)という場所にある納経所でいただきます。
御朱印をいただくタイミングと場所
基本的には、御廟での参拝を済ませた帰りに立ち寄るのがスムーズです。御供所は、御廟橋の手前、水向地蔵のすぐ近くにあります。四国遍路の納経帳を差し出して「お礼参りです」と伝えてお願いしましょう。
納経料と受付時間
納経料は一般的に四国の札所と同じか、少し異なる場合がありますが、現在は500円程度を目安にしておくと安心です。受付時間は通常、朝の8時30分頃から夕方の17時頃までですが、冬期は短縮されることもあります。
八十八ヶ所の墨書と朱印が並んだ最後に、奥の院の力強い文字が加わることで、納経帳が完成したという達成感が込み上げてきます。それは単なる完了ではなく、自分自身の足跡が形になった証とも言えるでしょう。
高野山で満願証は発行されるのか
「高野山に行けば満願証がもらえるのですか?」という質問をよく耳にしますが、結論から言うと、高野山側では、四国遍路専用の満願証に相当する賞状を授与する制度は設けられていません。納経帳や白衣への御朱印が満願の証しとなります。
証明書ではなく「お言葉」をいただく
一般的に結願証は四国の88番札所(大窪寺など)や、ご自身が結願した札所で、希望者が有料で授与してもらうものです。高野山ではあくまで御朱印をいただくことが満願の証となります。
とはいえ、納経所の方から「結願おめでとうございます」「よくお参りされましたね」と温かい言葉をかけていただけることもあります。その何気ない一言と、墨書きされた御朱印こそが、何よりの証明書となるはずです。紙の賞状よりも、お大師さまの膝元まで無事に辿り着けたという事実と、そこに至るまでの経験を大切にしてください。
お遍路の服装で高野山を参拝するマナー

高野山にお参りする際、「白衣や菅笠といったお遍路の格好で行ってもいいの?」と迷う方もいるでしょう。答えは問題ありません。むしろ、白衣や輪袈裟を身につけた正装でお参りすることは、お大師さまへの敬意を表す行為として歓迎されます。
実際、奥の院の参道では、四国遍路を終えたばかりの白衣姿の方々をよく見かけます。すれ違う際に「こんにちは」「お疲れ様です」と声を掛け合うのも、お遍路ならではの温かい文化です。
一般の服装の場合の注意点
もちろん、必ずしもお遍路の正装である必要はありません。洋服でお参りする場合は、以下の点に気をつけましょう。
- 露出を控える: タンクトップや短パンなど、肌の露出が多い服装は神聖な場所には不向きです。
- 歩きやすい靴を選ぶ: 参道は石畳が多く、場所によっては凸凹があったり滑りやすかったりします。ヒールやサンダルではなく、履き慣れたスニーカーやウォーキングシューズを強くおすすめします。
- 帽子と脱帽のマナー: 日差し除けの帽子は有効ですが、お堂の中や御廟橋から先の聖域では、必ず帽子を取るのがマナーです。
宿坊に宿泊する場合、浴衣はあくまで寝間着扱いです。浴衣のままで奥の院や金剛峯寺へ参拝に行くのはマナー違反となりますので注意しましょう。
お遍路に必要な持ち物や基本的な服装については、以下の記事で詳しく紹介しています。
高野山ならではの「宿坊」体験と精進料理

高野山を訪れるなら、ぜひ体験していただきたいのが宿坊(しゅくぼう)への宿泊です。宿坊とは、もともとは僧侶や参拝者のための宿泊施設ですが、現在では一般の観光客も広く受け入れています。高野山には50以上の宿坊があり、それぞれ異なる庭園や襖絵、歴史を持っています。
心と体を整える精進料理
宿坊での楽しみの一つが精進料理です。肉や魚を使わず、野菜や豆類、穀物だけで作られる料理ですが、その味わいは驚くほど豊かです。特に高野山名物の高野豆腐や、滑らかな食感が特徴のごま豆腐は絶品です。殺生を避けるという仏教の教えに基づいた料理をいただくことで、身体の中から清められるような感覚を味わえます。
朝のお勤めで心をリセット
多くの宿坊では、翌朝の早朝に本堂で行われるお勤め(勤行)に参加できます。静寂に包まれた本堂で、僧侶の読経を聞き、焼香をする時間は、日常では味わえない特別な体験です。正座が苦手な方のために椅子を用意している宿坊も増えていますので、予約時に確認してみると良いでしょう。
季節ごとの気候と服装の完全ガイド
高野山は標高約800メートルから1000メートルの山上に位置しているため、平地とは気候が大きく異なります。季節ごとの特徴を理解し、適切な服装を準備することが快適な参拝の鍵となります。
春・秋の服装(4月~5月、10月~11月)
春や秋は過ごしやすい季節ですが、朝晩は冷え込みます。平地ではシャツ一枚で過ごせる日でも、高野山ではジャケットや薄手のコートが必要です。特に紅葉のシーズン(10月下旬~11月上旬)は観光客で賑わいますが、夕方以降は急激に気温が下がるため、マフラーや手袋があると安心です。
夏の服装(6月~9月)
夏は平地よりも気温が低めで、避暑地としても知られています。標高800メートル以上の高地にあるため、日陰に入ると涼しい風を感じます。ただし、日差しは強いため、帽子や日焼け止めは必須です。また、朝晩は涼しくなることもあるので、長袖の羽織るものを一枚持参することをおすすめします。
冬の服装と注意点(12月~3月)
冬の高野山は、雪国のような寒さになります。氷点下になることも珍しくなく、しっかりとした防寒対策が必要です。ダウンジャケット、厚手の靴下、手袋、ニット帽などで身体を冷やさないようにしましょう。また、奥の院の参道は凍結することもあるため、滑りにくい靴底の靴が必須です。
冬場に車でアクセスする場合は、冬用タイヤの装着やタイヤチェーンの携行が必須とされる区間があります。和歌山県などの道路規制情報を確認し、ノーマルタイヤだけでの走行は避けましょう。
参拝にかかる所要時間と回る際のポイント
高野山での滞在時間は、どこまで見て回るかによって大きく変わります。計画を立てる際の目安となる所要時間をご紹介します。
お礼参りのみ(約2時間)
奥の院への参拝とお礼参りを中心にする場合、一の橋からの往復を含めて約2時間を見ておけば、焦ることなくゆっくりお参りできます。参道の石碑を眺めたり、御朱印をいただいたりする時間を含んだ目安です。
主要スポット周遊(約4~5時間)
奥の院に加えて、金剛峯寺の拝観や壇上伽藍の散策を行う場合は、半日程度の時間が必要です。それぞれのスポットは離れていますが、山内を走る南海りんかんバスを利用すればスムーズに移動できます。
じっくり宿泊コース(1泊2日)
全ての見どころを網羅し、宿坊体験も楽しむなら1泊2日がおすすめです。夜の奥の院の静けさや早朝の澄んだ空気を感じられるのは、宿泊者だけの特権です。時期によっては夜間の特別企画が行われることもあります。
個人やツアーで高野山へ行くアクセス方法
高野山へのアクセスは、大きく分けて電車、車、そしてバスツアーの3通りがあります。それぞれの特徴を理解して、自分に合った方法を選びましょう。
1. 電車とケーブルカー(おすすめ)
大阪の難波駅から南海電鉄の高野線を利用し、終点の極楽橋駅へ向かいます。特急「こうや」を利用すれば快適に移動できますし、観光列車「天空」に乗れば、森林の中を走る景色を楽しむこともできます。極楽橋からは急勾配を登るケーブルカーに乗り換えて高野山駅へ。そこからは路線バスで聖地へと入っていきます。車窓からの景色が美しく、運転の疲れがないため、参拝後に精進料理とお酒を楽しむこともできます。
(参考情報:南海電鉄グループ 情報サイト『otent』)
2. 自家用車・レンタカー
和歌山側から山道を登ります。荷物が多くても楽に移動でき、時間の融通が利くのがメリットです。ただし、山道はカーブが多く、休日や紅葉シーズンは駐車場が非常に混雑するため注意が必要です。また、駐車場から目的地まで少し歩く場合もあるため、事前に駐車場の位置を確認しておきましょう。
3. バスツアー
四国遍路とセットになったツアーや、主要駅から出発する日帰りバスツアーを利用するのも一つの手です。移動の手間が省けるだけでなく、先達さんやガイドさんから詳しい解説を聞けるため、初心者でも安心して参加できます。
ツアーのメリットや一人参加のコツについては、以下の記事も参考にしてみてください。
| 手段 | 特徴 | メリット | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 電車・バス | 南海高野線+ケーブルカー | 景色を楽しめる・お酒も飲める | 乗り換えが必要・移動時間が決まる |
| 自家用車 | 和歌山側から山道を登る | 荷物が多くても楽・時間の融通が利く | 山道の運転・駐車場の混雑 |
| ツアー | バス等で直行 | 迷わない・解説付きで安心 | 自由時間が限られる・団体行動 |
お遍路と高野山の旅で心に残る結末を
四国八十八ヶ所という長い旅路の果てにたどり着く高野山。そこは単なる観光地ではなく、自分自身と向き合い、感謝を捧げるための静かな聖地です。奥の院の杉木立を歩き、御廟の前で手を合わせたとき、きっとこれまでの苦労や思い出が走馬灯のように蘇り、温かい気持ちになれるはずです。
必ず行かなければならないという決まりはありませんが、もし心の中に行ってみたいという小さな灯火があるのなら、ぜひその足でお大師さまのもとへ向かってみてください。その旅の結末は、きっとあなたの人生において忘れられない宝物になることでしょう。どうぞ、良いお参りを。













